2023年6月29日

気が付いたら2週間が経っていた。 

東京ドームでBiSHの解散ライブを観たあの日は真夏のような暑さで、今年に入って一番の気温を記録したらしい。終演直後には突然、嘘みたいな土砂降りの雨が降った。

BiSHを追いかけはじめたのは、2019年の初め頃だったと思う。コロナ禍も手伝って、足繁くライブやイベントに通ったと胸を張ることはとてもできない。それでも、彼女たちに夢中になって過ごしてきた1人だ。

SNSに流れてきてた幕張のライブ映像(THE NUDE)で"NON TiE-UP"という曲を偶然目にしたのがきっかけだった。

グループ名こそ知ってはいたけど、メンバーの顔も名前も全然分からない。ただ純粋に、めちゃくちゃかっこいい。何だこれ、とんでもねえな、と思った。パフォーマンスする6人全員がまるでひとつの巨大な生命体のようだった。

それは素晴らしいバンドの演奏やアーティストのステージを観た時に、ごく稀に感じたことのある感覚だった。音楽だけは子供の頃から好きだったけど、失礼ながらアイドルグループの、それも映像を見ただけで、そんな感情を抱くとは思ってもみなかった。

その巨大な生命体の中に、心臓みたいな人がいた。セントチヒロ・チッチという名前の女の子だった。ジブリも好きなので、すぐに覚えた。

すっかり興味津々になって過去のコンテンツを漁っていくと、どうやらそのセントチヒロ・チッチさんは最初から心臓みたいな人ではなかったようだった。心臓になろう、ともがいている人のように感じた。

おこがましくも、チッチさんがBiSHに心血を注いで心臓となっていく姿を、自分に重ねてしまった。おれはもっとずっとちっぽけな場所で矢面に立とうとして、大事なところでうまくできず、倒れた側の人間だけど。

チッチさんの趣向や感性にも、すごく共感した。10代の頃夢中になった日本のロックや青春パンクにルーツがあって、そのほかにも自分が大好きなカルチャーに感化されていく様子をさまざまな媒体を通して知り、嬉しくなった。何より、音楽や芸術を心から愛してる人であることはすぐに分かった。それもまた、おこがましくも自分と重ねて見てしまった。

姿かたちは勿論、性別、年齢、何から何まで全然違う。比べられるような対象では当然ない。でもこの人は、おれがなりたかった自分だと思った。この人が好きだ。この人が好きなことを思いっきりやって、もっともっと沢山の人に愛されて、認められて、力強く生きていく姿を見ていたい。幸せを感じながら、めいいっぱい楽しんで、いつでも笑って過ごしていてほしい。そんな未来があったら最高。おれには、できなかったから。でもチッチさんなら勿論できる。おれには分かる。というような、とてつもなく勝手極まりない事を、身の程もわきまえず思うようになっていた。アイドルに馴染みはなかったけど、夢中になる人の気持ちが、30年ほど生きてきて初めて分かった気がした。

そんな経緯で、「推しメン」と呼ぶらしき人が早々に見つかった。でも、どのメンバーもみんなすごく魅力的だった。すぐに全員が大好きになった。箱推しという言葉もあるらしい。みんなピカピカに輝いていて、宝石箱みたいだからかな。

あっという間に、巷ではオタクと呼ばれる人間の枠組に両足を突っ込んでいた。オタクの定義は今でも分からないけど、いつもBiSHの曲を聴いて活力をもらい、BiSHの活動を楽しみに毎日を生きていた。生きることができていた、なのかもしれない。そのくらい暇さえあれば、いつでも想いを馳せていた。

そのBiSHが活動を終えた日。一生忘れないと思う。

前日はいい歳こいて興奮と不安で一睡もできず、どうしていいかも分からず、炎天下の物販に初めて早朝から並んでみたりした。事後通販があることは予想できたけど、行列に並んでおくことくらいしかできなかった。顔も知らない、人 人 人。100人いたら100通りの、5万人いたら5万通りの思い入れがあるんだろうなと思う。古かろうが新しかろうが、一体どんな経緯で好きになっていようと、おれとお前に何の違いもない。

睡眠不足と熱中症気味で、コンディションは控えめに言って最悪なまま開演を迎えた。ライブはあっという間に過ぎていった。

好きになった頃にはもう十分大きな存在だったけど、BiSHという生命体はそれからもどんどん大きくなっていった。信じられないくらいでっかいはずの東京ドームが狭苦しく感じるほど、BiSHは化け物みたいにでっかくて、宇宙一かっこいいグループだった。

1曲目のBiSHの名を冠した代表曲から、自分でも何を言っているのか分からないMIXというやつをかました。全員の名前を叫んだ。興奮してたし、興奮でもしてなきゃ悲しみに押しつぶされそうだった。大好きなBiSHが、あと少しで無くなっちゃうことを認めたくなかった。

あの場所にいた誰もと同じように、BiSHがいつも近くにいた。辛い時は励ましてくれて、悲しい時は寄り添ってくれて、楽しい時は一緒に盛り上がってくれた。元気がない時は笑わせてくれたし、頑張らなきゃいけない時は背中を押してくれた。BiSHと一緒に生きてきたんだな。

でもこの日、いつも 「強く強く生きて、また会いましょう」 と言ってくれていたチッチさんが、いなかったように思う。元気な笑顔も見せてくれていたけど、ずっと寂しそうに見えてしまって、たまらなかった。BiSH最後の日のチッチさんは、心臓に見えなかった。

ああ、終わりがきたから 心臓は動かなくなっちゃうんだと思った。

 

もちろん見え方は人それぞれで、ただの勘違いしてる分かってない奴だと思われるなら、それも全然良い。5万通りの中には笑顔ですっきりバイバイできた人もいるのかもしれない。

意図的に「解散」という終わりを決めたことには納得できていたはずだった。一生続く花火大会はみんな興味がなくなる。悪天候の日も必ずきて、綺麗に見えなくなる日がきっとくる。終わりがあるから美しい。そう思うようにしていた。

ただ同時に、セントチヒロ・チッチさんという人は雨の日でも風の日でも、ずっと続けていくことの尊さや美しさを愛する人であることを知っていた。勘違いでも、そう思ってしまうと本当に辛かった。

それに、BiSHは晴れ女集団だから。悪天候の日なんて、こなかったんじゃないか。

 

家に帰ると、棚に置かれたままの酷く鋭利なトゲトゲのついたリストバンドが目に入った。当日付けていくつもりで買ったのに、似合わなすぎて結局家に置いていったやつだ。

こんなに必要がないもの、今までに買ったことないよと思って1人で笑ってしまった。久しぶりに自然に笑った気がする。

本当はライブ中、「BiSHありがとう」って言いたかった。叫びたかった。でも、「ありがとう」って言ったら本当にお別れな気がしちゃって、最後は全力で拍手するのが精一杯だった。

BiSHのメンバーはみんな本当にとても多才で、魅力的で、もれなく全員に素敵な未来が待っている。それを見守っていく事がきっとできる。悲しいことばっかりじゃない。だけどやっぱり寂しいな。

終わりがあって良かったなんて今は思えない。最後のステージを見届けられた事が幸せな事だったとしても、BiSHというグループの続きはもう無くなってしまった。これから何度でも思い出してしまうと思う。やりきれない気持ちがまだ残ってる。

でも、この苦しさも寂しさも悲しさも、過去が輝いて見える気持ちも、6人が抱えていく想いとほんのちょっとは一緒なのかもと思うと、少しだけ楽になれる気がする。この気持ちを引きずったまま、未来に期待をして生きていかなくちゃいけない。

 

BiSHに出会えて、とても幸せでした。ありがとう。

強く強く生きて、また会いましょう。

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